カナリアたちの舟 感想 ラストの考察

こんばんは。今回は『カナリアたちの舟』考察していこうと思います。

 

カナリアたちの舟

 

スキップとローファーで高松美咲の言葉編みに惚れ込み、カナリアたちの舟を読みました。

購入前にレビューを見ると、まあスキップとローファーのほのぼのを期待して買った層から「思ってたのと違う」「ジャンルの振り幅がすごい」的なこと書かれてたのですが、高松美咲節のSFとか最高じゃねーかと。信じて購入。

 

結果。読み終わってすぐ最初から読み直した。一晩置いてまた読み返した。3回読み終わった後に「ああ〜」って頭を抱えた。

ラストの展開はまあ人それぞれの解釈があるだろうという前提で、語らせていただく。

私の感覚から申し上げますと、これはハッピーエンドではない。俗に言うメリバ?が1番近いのかなという解釈。でもメリバではない。

 

以下、「私個人の解釈」であることを理解の上お読みください。その他の解釈を否定する意図はありません。

根幹に関わる部分までネタバレしてるのでご注意を。

 

 

◆とりあえず手短に感想

方々で「スキップとローファーに似たものを期待してると裏切られる」という評価をされていたけれど、本質的なテーマは同じだなと思いました。

ユリは

「この前まで思い描いてきた明日には不安以上に期待があったからだ」

千宙は

「あんたといて徐々に理解したよ。俺の気はとっくの昔に済んでいて、もうどこにも行きたくないことも、何も感じたくないことも」

眩しいんだよね。未来に溢れた高校生って。

 

◆ラストはおそらくこうなった

ユリは地球人たちを目覚めさせた後、千宙と同様、自害したのだと思います。

うん。これはラストにそう書いてあるからそうだと思う。

「彼の作った物語の幕を閉じなければならない」

「そして誰にも語らない」

この「彼の作った物語の幕」というのは千宙が語っていた「舞台の幕が開く。あんたはその4人目」のことで。千宙は“もうひとり”を起こすことで幕を開け、“もうひとり”が死ぬことで幕を閉じてきた。「彼の物語の幕を閉じる」って、そういうことでしょ。

 

地球人たちを放たなければこの惑星は緑豊かな美しい星のままだ。目覚めた地球人たちも混乱し、少なからず絶望を味わう。目覚めさせない方が、惑星にとっても地球人たちにとっても幸せかもしれない。何も事情を知らない地球人たちがこの先どうやって生きていくのか、果たして生きていけるのか、わからないけど。でも、「ガッカリすることになるかもだけど、いーよ別に。この期待のおかげで今立って歩けてるんだから」という言葉からもわかる通り、ユリはひたむきに前向きで、地球人たちに期待をしたんだろう。ひとりきりじゃなければ期待を持って生きていけることをユリは知っているから。

「これが正しいことだと言い切るにはあまりにも今この星は美しく」

「ただ寂しさだけに突き動かされていた」

「朝がくる。途方もない明日を連れて、誰の前にも」

ラストの言葉。私はそういう意味で受け取りました。それにしても綺麗な言葉だなあ。

 

◆千宙の言動について

情緒的思考を持たない生物にしては千宙の言動が理屈的でない。と思った。

けど何度も読み返して、あーこれはこういう?…と納得したのでそのあたりをまとめてみます。

  1. 森の管理システムと千宙の会話。「まるで感情があるみたいだ」「統括する物が巨大だとある程度の自我は生まれるものだよ」。脳の支配を離れ自分で判断・行動しなきゃいけなくなった千宙に自我が芽生えるのはおかしいことじゃなく。
  2. 彼らは地球人の生態を知ること=娯楽としていて、地球人を飼育する計画まであったのだから、「地球人がこの状況下でどんな行動をするか」を知るために演技をすることもおかしいことじゃなくて。(赤ん坊に「いないいないばあ」とか、犬に「とってこーい」とかと同じ感覚なんだろう)
  3. 千宙はユリの埋葬を見て“学習”し、放置していた死体をわざわざ後から埋葬するなど“実行”する描写もある。千宙はユリ以前の3人から「地球人はただひたすらにまわりくどいんだ」と“学習”していた。千宙のユリに対する行動がまわりくどいのは、まったくおかしいことじゃない。

そう考えて読み直すと千宙の言動にも違和感がなくなる。気がする。

 

◆黄色いコップについて

黄色いコップってのは、ユリのセーラー服のスカーフが黄色だから。かな?「小柄で、髪が短くて、黄色いものが傍にある」というイメージでユリを選んだってことですかね。たぶん。あとは、タイトルのカナリアにも掛けてる…のかも?

タイトル自体はカナリアたち=飼育される者たちって意味だと思うけど。

 

◆2人の感情は恋だったのか

千宙については、個人的には明確に恋ではなかったと思ってます。まだ恋という感情を学習してなさそう、という意味で。

広義的には恋だったんだと思います。繁殖システムを見つけて真っ先にユリが好きだと言っていた花を入れ、しかもそれをあえて内緒にして、育ったころにサプライズさせようなんて、「地球人はひたすらにまわりくどい」が過ぎる。このまわりくどいことを楽しんでる自分に気付いたときが、千宙の恋なんじゃないっすかね。知らんけど。

ラストに打った注射がどんな効果で死ぬものなのかわからないからなんとも言えないけど、死に際に百合の花の庭に向かったのは“元の姿に戻った千宙”なので、北沢千宙の執念ではなく自分自身の意思だった……って解釈すれば、千宙は充分地球人同等の情緒を得ていて、もう少しでユリと千宙は「絶対にわかりあえない種族」ではなくなってたかもしれないね。

ユリが隠し部屋を見つけなれば。千宙が百合の花の庭を見せていれば。ユリが千宙を好きになるのは時間の問題だったと思うし、千宙はそんなユリから恋愛感情を学習していただろうな。そんな未来もあったかもしれない。ターミナルで眠る地球人たちを見つけることもなく、ずっと2人で、この美しい星で、期待だけ抱いて。

 

カナリアたちの舟