花井沢町公民館便り 感想 ラストの考察

ネタバレばんばんします。考察ではなく感想です!

 

ヤマシタトモコ『花井沢町公民館便り』全3巻を一気読みしました。読み終わってからまた1巻に戻って一気読みしました。連続2ループしました。その後も時間があれば読んでしまいます。読み始めると止まらない。最初に手に取った理由ときっかけは忘れましたが、とても良い出会いでした。良かった。

 

 

 

 

最初はよくあるSFの話だなって思ったんです。なんか特別なテクノロジーが発展して、二つの空間に分断されてしまう系の話って。

そういうのもあるし、自分でも妄想したこともあるんですが、この漫画の特徴はなんと言っても「無機物は通れる」。この設定が本当に本当に面白い!!

この設定を追加するために理由付けが必要で、大体これ系の話は宇宙的な世界観になってしまいがちなところを「シェルターや刑務所に使われる技術」で違和感なくやってのけてしまうのがイイ。SF感がなくなって、普通の日本の、都心まで電車でちょっとという小さな町を舞台にできるリアリティ。

 

ラストはハッピーエンドなのかバッドエンドなのか解釈がわかれるところで、私も私なりにラストについて考えましたが、それよりも、私がこの漫画で1番グッときたのは、「登場人物が死ぬ瞬間に何を思ったか」を考えたときでした。

この物語ってたった3冊の本の中で200年くらい経ってて、脱出できないこと前提だから全員「花井沢町で死んだ」わけじゃないですか。「希が花井沢町の最後の1人」という描写をされるたびに、「ああ、パン屋の女の子もセンセーも図書室の青年もコスプレ少女も映画館のお姉さんも筋肉野郎もたべのすけも医者を目指した男の子もエーコもさおちゃんもたけるもみんなこの中で死んだんだ」と、切なくなりました。

あいかとエマの時代は人口もまだまだたくさんいて、花井沢町に住んでるおかげで芸能人に会う機会も多くて、ある意味たくさんの人に看取られて「良い人生だった」と終えたかもしれないけど(エマの時代は普通に孫まで持てた時代なわけで)、エーコとさおちゃんの時代はそれこそ子孫は作るべきじゃないって考える人が増えてきてる頃で、1人死ぬたびに心の中でカウントダウンしたんじゃないかな。あいかとエマの時代と違ってもう慰問に来る芸能人はほとんど居ないと思うし。最後には誰も境界に近寄ろうとしなかったらしいしさ。

そんな巡る時代の中でみんながどうやって、何を思って死んだのか、考えるとゾワゾワしますね。

たべのすけは外の世界に未練を残して死んだんだろうなとか。たけるエーコとさおちゃんをどんな気持ちで看取っただろうとか。あっちゃんの両親は「動物園にも、何処にも連れて行けなくてごめんね」って悔しい悲しい思いのままあっちゃんを残すことになったのかなとか。浮世離れしてた映画館のお姉さんは最期に誰かと一緒にいただろうかとか。医者を目指した男の子は残る人を憂いながら死んだかな、それとも森澤医院の人が言ったように犠牲者という自覚を持って死んだかな。とか。

前世代の人は最後まで外に出られなかったことを惜しむだろうし、後世代の人は意外と満足して終わることもあると思います。

モブに注目してしまう性質。うん仕方ない。

 

 

以下、ざっくりと感想です。

 

1.あいかとエマ

壁ができてから15年経った頃の花井沢。読み返してて、助けてやるおじさんエピソードのときに8ヶ月だった「あっちゃん」の一個下になるんだなーとか思ったり。でもあっちゃんらしき人の登場はなかった。

外を知らない子供は壁の中で暮らすのが「当たり前」なんですね。これって震災に似てる。まだ不便なところはあるけど少しずつ町から自粛ムードが消えて、活気が出てきて、前と後での変化に大人たちが順応できてきて、子供は「当時のことは知らないけど大変だったなんだな〜」って。毎回同じ締めをする「小さな町です」にも絶望は見えない。ただ、「私たちにとって当たり前の生活を、普通じゃないものにされても困る」って感じ。

 

2.泥棒探し

壁ができて3年。「自粛ムードはもう(脱却したい)」という前向きな言葉があり、「どうせ逃げられないんだから許して助け合おう」と壁ができる前まではあまり関わりもなかった住民たちが一致団結するシーンもあり、前向きな話だと思ったけど。世の中そう簡単にはいかないんだね、これが現実だな。泥棒が最後にはどうなったか描かれてないのが後味悪い。自殺してもおかしくないなって思ったけど、たべのすけエピソードで落書きが消されてるから、ほんの少しの救いはあったのかもしれない。

曽我くんが泥棒探しした当時何歳かわからないけど、中・高校生のときに突然壁ができて外に出られなくなった世代ですよね。外の学校に通ってたのに1番楽しいときに隔離されてしまったんですね。そう思うとこの世代が1番つらいですね。

で、それとはぜっんぜん関係ないんだけど、曽我くん、西広と高瀬準太を足して2で割った感じですごく好きですえへへ。しかも扉絵で隣にいるのが年の離れた妹ちゃんに見えて完全に西広。え、好き。そしてそんな曽我くんが最後に、罪悪感から逃げるようにしてあの家を後にする描写がめっちゃ好き。ああいう男の子にはそういう業を背負わせたい。好き。

 

3.百合カップルと男子小学生

時系列いつ頃かよくわからない。扉絵は綺麗だけど、空き家がたくさんあるってことはそれなりに人が減った後ですよね。しかも隙間風ビュービューの建物ばかりで人口が減少してて子孫を残す残さないの話になってるんだから、壁ができてから150年くらいと予想。

さて、私はエーコ派で子孫は残さない方に賛成したいです。だからさおちゃんの「お母さんになりたい」って気持ちはわかりませんでした。でもさおちゃんの子供なら育てるってエーコの気持ちはわかるの。難しい。勇希のお母さんもこんなふうに思ったのかな。それでも私はさおちゃんには共感できない。

 

3.たべのすけ

西広似の少年・曽我くんがお父さんになった世代の話……じゃなくて、花井沢で生まれて一生外に出られないことをコンプレックスにしてるオシャレ男子の話。個人的に1番しんどいエピソードはこれ。希と総一郎よりもこれ。たべのすけがあの後ネットという心の拠り所をなくして、永遠に抜け出すことができないコンプレックスとどうやって向き合っていくのかと考えると心が痛い。たぶん、本当に好きだったTシャツとかももう買うことはないんじゃないか。好きだったはずのおしゃれも否定された気持ちだよね。外への憧れはあの後もずっとあると思う。でも外との関わりを持たないようになって、たぶんデータ入力の仕事も辞めて、お父さんに言われた「中でできる仕事」を選んでしまうんじゃないかなあ。それってつらい。

 

4.春樹くん

これも時系列わからないけど、この時代の人たちはもうみんな後世代かな。外のことは本やネットで知ってるけど外国や宇宙みたいな場所だと思ってる感覚に似てて執着なさそう。それから「外の奴らにおれたちのことは裁けない」って言葉からも、外の世界をよそ者扱いして引きこもるふうな印象を持たせる。泥棒の話もそうだけど、ある意味無法地帯なんだよね。ぞっとする。春樹くんの「なくて困るもの」の答えは何だろうって自分なりに考えたけど、それは法治なのかなぁ。小さい街である意味ストーカー女も「身内」みたいな存在だから、助けを求めても敵認定してくれないのは不安だよね。それから、息子を助けるためとは言え人を殺した母親が、その後も「住民たちに守られて」、平気で笑顔でいるという不気味さも。

 

5.勇希

「20人も残ってない」時代に、何もかも勇希が正論すぎて、すべてがつらい。自分を生んだお母さんを恨みたいだろうし、ヒロムのことも恨みたいだろうし、外の人間も恨みたいだろう。「何が法律だ!」ってセリフがずどんときた。でも本当に、こういうときに法律は私たち個人を守ってくれない。勇希の絶望に満ちた顔すごく好きよ。でもどうして希を一人ぼっちにして自殺したのか、それだけは解せない。これだけまっとうに恨みを持ってて、子どもを産んじゃいけないってわかってたのに、おばあちゃんとクソ男しか残ってない世界に、娘を残していくような女ではないと思うんだ。死ぬなら一緒に死ぬんじゃないの?最後の「それはどうでもいい」のヤケクソ感は、子供のことも恨みの対象になったか。それとも名前の通り、子供にのぞみを託したんだろうか?

 

6.パン屋さん、作家さん、筋肉野郎、映画館

ここらへんは悲壮感がなくていいですね。みんな後世代になったかな。でも筋肉くんとパン屋の女の子だけは割と早い時期と予想。境界ギリギリのとこに外の人が住んでるから。

個人的にパン屋さんエピソードでは主役の女の子よりもコスプレ衣装で生計立ててる女の子が気になった。作家さんエピソードでも思ったんだけど、創作活動をする人にとっては壁なんてあってもなくても変わらないっていう、とっても前向きな生き方がすごく好きだ。映画館の話で、主人公の男の子がオンラインゲームで外の人や外国の人とフツーに遊んでるのもすごく好き。外の山奥と比べたら花井沢の方が便利だとかね。筋肉くんの「キャンプはできないけどバーベキューを催してくれる外の人がいる」とかね。そういうモノの見方、大好きだ。ひとつのテーマでいろんな人の人生をいろんな角度から描いてるの。つらい絶望だけじゃないの。だから群像劇って好き!

 

 7.壁ができてすぐのころ

おれが助けてやるおじさんと、家に帰れなくなった女子高生(?)のエピソード。こういうのもすごく好きです。泥棒探しのエピソードでもそうだったけど、壁ができる前はご近所付き合いほとんどなかったという描写があって、そういうところに時代性を感じるから好き。

で、家に帰れなくなった女子高生はもっと掘り下げてほしかったけど…。あの子は花井沢町に帰れなくなっても外の世界で楽しくやりそうだなぁ。唯一家族に会えない点だけ気に病むだろうけど、それ以外の点では「閉じ込められなくて運が良かった」くらいに思ってそうだ。いや、それが正しい感情だけど。

 

8.希と総一郎

なんかねー…私がモブにばかり注目しちゃう性格だからか?この2人の背景があまり見えなくて、他のキャラよりも感情移入できなかったです。2人はいつ頃にどうやって出会って、どうして好き同士になったんだろう。「小さい頃から一緒にいた」みたいなセリフがあったけど…。そりゃ出会いなんていくらでも思いつくけど、なかなか自分の納得ができなくて。運命とかいう言葉で片付けちゃえばいいんだろうけど。

でもこの二人、当たり前のように恋人みたいに振舞ってるけど、初めて言葉にしたのはあの夜の「あいしてるから」だったのかもしれない。希もあの夜はじめて自覚したのかも。それまでは総一郎が境界まで会いに来てくれててそこで完結してたけど、一緒に暮らすことで総一郎は出かけてしまうし、総一郎の暮らし(=外の暮らし)も見えてしまうし。となれば、今まで抱かなかった気持ちも湧くよねきっと。金魚に触れないのを諦めるとかそんなレベルの話じゃなく。

で、肝心のラストですが。

個人的な感想として、個人的な趣味として、私が好きなように妄想するならば、こんな終わりにします。

中井さんは希に「お互いの利益を追求」と言っていました。たぶん希と総一郎の利益とは、人権が守られるとか生き延びるとかより、二人が触れ合うことです。それを中井さんはわかっていたと思います。

だから。中井さんとお偉いさんの会話から考えるに、総一郎は仮死状態になって壁の中に入ったんじゃないでしょうか。「入った後出られなくなるかもしれない」というリスクを承知で被験者になるとしたら総一郎だと思います。

で、中に入った総一郎が希を捜して、触れ合うことができて、ぶっつけ本番の「中から外へ」もなんやかんや成功して、二人で外に出てこれたんだろう。

…と、こんな終わりを妄想しました。

もしぶっつけ本番が失敗しても二人で一緒に触れ合いながら死ねるなら本望だろうし、ぶっつけ本番を試すのが怖いなら一生二人で中にいればいい。どれを取っても「小さな小さな町でした」の終わり方になると思います。少なくとも希は、外に出ること自体を望んでいたわけでなく、総一郎と触れ合うことができれば中でも外でもいいのかなって思います。

それにさ、私なんか性格歪んでるから「世界に私とあなただけ」みたいな要素とても好きなのです。希と総一郎だけの世界を作るのもアリだと思います。希は勇希の日記を読んでるから子供を欲しいとは思わないだろうけど、総一郎と二人でいることで次第に子供が欲しいと思うようになったら、きっとそのときには外に出ることを試すかもしれない。それまでは中にいてもいいと思う。八百屋さんも区役所の人も警察の人も二人のことを知っていて、理解のある人に恵まれてるもの。

 

うーんまとまりがないけどこれくらい。

どういう捉え方をしても良いような終わり方なので、それぞれのエピソードごとに妄想していいんだと思います。面白かったです。花井沢。

 

 

花井沢町公民館便り(3) (アフタヌーンコミックス)